710年、元明(げんめい)天皇は、都を藤原京から平城京に遷しました。
一般的に、710年から都が平安京に遷された794年までを奈良時代といいます。
784年に長岡京に都が遷されるまでが奈良時代との考え方もあります。
元明天皇の時代をちょいと勉強していきましょう!
元明天皇とは
元明天皇は、天智天皇の皇女で、天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子の正妃であり、文武(もんむ)天皇と元正(げんしょう)天皇の母です。
697年に息子の軽(かる)皇子が文武天皇として即位しますが、707年7月18日に25歳の若さで崩御してしまいます。
孫の首(おびと)皇子(のちの聖武天皇)がまだ幼かったため、第43代天皇として即位しました。
和同開珎(わどうかいちん)鋳造
708年、武蔵国から銅が献上されました。これを祝って、元号を和銅に変更し、和同開珎という銭貨を鋳造しました。「わどうかいほう」とも読みます。
5月に銀銭が発行され、8月に銅銭が発行されました。銀銭は翌年に廃止されました。
和同開珎は畿内とその周辺の地域では流通しましたが、地方ではあまり流通しなかったとされています。
かつては和同開珎が日本最古の貨幣とされていましたが、現在では富本銭(ふほんせん)が和同開珎以前に存在していたことが分かっています。
富本銭は貨幣として流通したかはっきりしていないので、和同開珎は確実に貨幣として流通した最古の貨幣とされています。
平城京遷都
710年、藤原京から平城京に遷都しました。
平城京は唐の都の長安をモデルに造営されたといわれています。
平城京の大きさは、東西約4.3キロ、南北約4.8キロでした。
中央を南北に朱雀大路が走っており、朱雀大路の西側を右京、東側を左京といいます。
左京の東側には外京(げきょう)と呼ばれる区域がありました。

古事記の成立
712年、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた「帝紀」・「旧辞」のたぐいを、太安万侶(おおのやすまろ)が記録して、「古事記」が成立しました。
古事記は神代の時代から推古天皇の時代までを扱ったものです。
風土記(ふどき)
713年、元明天皇は諸国に「風土記」の編纂を命じました。それぞれの国の地名の由来、産物、土地の状態などを記したものが朝廷に提出されました。
現存する風土記は下記の5つです。
- 『出雲国風土記』(いずものくにふどき)
- 『播磨国風土記』(はりまのくにふどき)
- 『常陸国風土記』(ひたちのくにふどき)
- 『肥前国風土記』(ひぜんのくにふどき)
- 『豊後国風土記』(ぶんごのくにふどき)
ほぼ完全な形で残っているものは『出雲国風土記』だけです。
娘に譲位
715年、元明天皇は自らの老いを理由に譲位することになりました。
孫の首(おびと)皇子はまだ若かったため 、娘の氷高(ひたか)皇女が即位して元正(げんしょう)天皇となりました。元正天皇は文武天皇の姉です。
女性天皇同士の皇位継承は、元明天皇と元正天皇が日本史で唯一の例です。
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