元正天皇の時代

奈良時代

元正(げんしょう)天皇という名前を聞いたことはありますか?
あまり有名な天皇ではないので、聞いたことがないという方も多いと思います。

元正天皇は奈良時代の女帝です。
元正天皇は知らなくても、日本書紀や三世一身の法は聞いたことがあると思います。

元正天皇の時代をちょいと勉強していきましょう!

元正天皇とは

元正天皇は、第44代天皇で、715年に即位した女帝です。
母は第43代天皇である、元明(げんめい)天皇、弟は第42代天皇である、文武(もんむ)天皇です。
元正天皇は、日本で5人目の女性天皇です。
それまでの女帝は皇后や皇太子妃だったのですが、元正天皇は結婚経験がなく独身で即位しています。

養老律令

718年、養老律令がつくられました。
養老律令は藤原不比等(ふじわらのふひと)らが大宝律令を改訂したものですが、ほとんど同じ内容の法典でした。
720年に藤原不比等が亡くなります。養老律令が施行されたのは757年です。

藤原不比等

元明天皇・元正天皇の時代に権力を握っていたのが藤原不比等です。
藤原不比等は藤原鎌足の子で、大宝律令の制定作業にも参加しました。

藤原不比等の娘、宮子(みやこ)は、文武天皇夫人となります。
二人の子である首皇子(おびとのおうじ)は、後の聖武天皇です。

藤原不比等のもうひとりの娘、光明子(こうみょうし)は、 首皇子と結婚し、のちに光明皇后となります。
藤原不比等の孫と娘が結婚したことになります。

光明皇后は皇族以外で初めて皇后になった人物です。
藤原不比等はこのように皇室との関係を深め、その後の藤原氏繁栄の基礎をつくりました。

720年、藤原不比等が死去します。

藤原不比等の死後、長屋王(ながやおう)という皇族が政権を握りますが、のちに不比等の子どもたちによって、長屋王は自殺に追い込まれました。

日本書紀

720年、「日本書紀」が完成しました。
「日本書紀」は、 舎人親王(とねりしんのう)が中心となってつくりました。

「日本書紀」は、神代から持統天皇の時代までのことを書いています。
「古事記」は、神代から推古天皇の時代まででした。

「日本書紀」は、漢文・編年体で書かれています。
編年体とは古い時代から新しい時代の方へ、年表のように時代の流れに沿って記述する方法です。

「日本書紀」のあと、5つの官撰史書が作られました。これを六国史(りっこくし)といいます。
「日本書紀」は六国史の1番目ということになります。

三世一身の法

人口が増えてくると口分田が足りなくなり、班田収授法が行き詰まりを見せ始めます。

そこで政府は、722年に百万町歩開墾計画を出しました。
百万町歩の土地を開墾しようという計画です。
この計画は実現されませんでした。

723年には、開墾を奨励するために、三世一身の法(さんぜいっしんのほう)という法律を出します。

灌漑施設を作って開墾した者には、三代のあいだ私有を認める、既設の水路を使って開墾した者には、本人一代かぎり私有を認めるというものです。

三世一身の法はあまり効果が出なかったので、20年後、聖武天皇の時代に墾田永年私財法が出されました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました