天智天皇の時代

日本史

天智(てんじ)天皇は第38代天皇です。668年に即位しています。

父は第34代天皇の舒明(じょめい)天皇、母は第35代天皇の皇極(こうぎょく)天皇
第37代天皇の斉明(さいめい)天皇と皇極天皇は同一人物です。

即位前の名は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)です。

天智天皇の時代をちょいと勉強していきましょう。

中大兄皇子時代

645年、中大兄皇子は中臣鎌足(なかとみのかまたり)らと、当時権力を握っていた蘇我蝦夷(そがのえみし)、蘇我入鹿(そがのいるか)を滅ぼします。
このクーデターを乙巳の変(いっしのへん)といいます。

乙巳の変の後、孝徳天皇が即位します。
中大兄皇子は皇太子となり、天皇中心の中央集権国家をつくるため、さまざまな改革を行いました。

孝徳天皇の崩御後、斉明天皇が即位します。
661年、斉明天皇が崩御しますが、中大兄皇子はしばらく即位せず、皇太子のまま政治を行っていました。
このことを称制(しょうせい)といいます。

660年、唐・新羅(しらぎ)連合軍が百済(くだら)を滅ぼしました。
百済(くだら)救援のために朝鮮半島へ兵を送りますが、663年、白村江(はくすきのえ)の戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に大敗します。

敗戦後、唐・新羅の侵攻に備えて、九州、対馬、壱岐といった地域の防備を固めるため、防人(さきもり)・烽(とぶひ)を設けました。
防人は兵士で、烽はのろしです。
筑紫(北九州)には水城(みずき)と呼ばれる砦を築きました。

667年、中大兄皇子は、近江大津宮に都を遷します。現在の滋賀県です。

天智天皇時代

668年、中大兄皇子はようやく即位し、天智天皇となります。

668年、近江令(おうみりょう)と呼ばれる日本で最初の令を制定しました。
令とは、行政法など刑法以外の法律のことです。
近江令は、中臣鎌足が中心となって編纂したといわれています。

670年、日本で最初の全国的な戸籍である「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を作りました。
庚午年籍は永久保存を命じられました。
しかし、庚午年籍は現存していません。

中臣鎌足は669年に死亡しましたが、天智天皇は中臣鎌足の死の直前に、大織冠(たいしょくかん)という最高位の冠位と藤原の姓を与えました。
大織冠という冠位を授かったのは、藤原鎌足ただ一人です。

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